毎年震災のあった日になると世間では偽善者ぶるな!と言うような批判が相次ぎます。
普段は世の中のことや他人のことを批判ばかりしている人が急に世のため、人のためと言うような発言をしてくると、イライラする事ありますよね。「本心じゃないでしょ」「人によく思われようとしているだけでしょ」と。そういう時に出てくるのが「偽善者」という言葉です。
そもそも偽善者ってどういう人の事を言うのでしょう。
また、実は本人は偽善のつもりはなくとも、周りから偽善者って思われるのはどうしてなんでしょうか。
今回は偽善者と言われてしまう人の特徴と、偽善者と勘違いされないための方法をまとめてみたいと思います。
そもそも偽善者ってどういう意味?
偽善とは、善良であると偽ることをいう。 また、これを行う者は偽善者とよばれる。 精神的な偽善は、外面では善い行為に見えても、それが本心や良心からではない心理状態を指し、行為としての偽善は、隠れて悪事を行う為に善行を装う事である。
参照 Wikipedia
普段から自分中心で、人の事なんか気にしていないような人が、上司や先輩などの前ではころっと態度を変えて、自分より他人の方が心配な素振りを見せるような人いますよね。
人間の心理として、誰か特定の人からよく思われたいという想いがあれば、少なからずこういった行動には出ることがありますし、その結果偽善者と言われることもありそうです。
もしかしてウザがられている?「偽善者」と言われやすい人の特徴
自分の意思が無い
自分の考えが無いため、世の中一般的な見解があると、あまり良く考えもせず、その考えを自分の意見として発言したり、行動してしまったりします。
誰かが「これをするのが良いことである」といえば、それに従ってしまいます。
他人の意思に振り回されながら言動を重ねている結果、過去の発言や行動と矛盾してくることが発生します。
周りの意見に流され安い
身近な人や所属しているコミュニティで発言の場があったとしても、自分の意見は言わず、多数の意見に賛成してしまいます。
基本的に他の人の意見や発言には同意し、反論することはありません。
常にその場その場で声の大きい人の意見に合わせて行くので、過去の意見と矛盾することが発生します。
あなたは一体誰の味方なの?って言われる事が多い人もこのタイプの人。
負けず嫌い
人より少しでも上位に行きたいという想いが普段からあるので、善意で行うような奉仕活動などにもその気性が出てしまうことがあります。
誰かがボランティアに参加してきたと聞けば、私も行きたい!
寄付をしたと聞けば、自分もやる!金額は同じくらいか周りの人よりなるべく多く払ってみたり。
本人は善意というよりは、勝負ごとと同じ感覚なので気にせずやってしまっているのですが、他人から見ると疑問を持たれることもあるようです。
八方美人
誰からも悪く思われないように行動している八方美人さん。本当に要領良く出来ている人もいますが、誰にでも良い顔をする信頼できないやつと思われることも。
良い人と思われることが好きですし、優しい人ではあるのですが、「誰にでも優しい」ということが時に裏目に出てしまうこともあります。
本当に大切な人にしか心から心配したり、助けてあげることは出来ないでしょ?と想っている人からは理解が出来なくて批判されることも多いです。
偽善者と勘違いされないための方法は?
一貫した意思を持つ
自分がどうしたいのか、どうすることが「善良」なことだと想っているのかをちゃんと自分の考えとして持っておくのが重要です。
どういう時に人助けをするのが良いと想っているのか、それはどのレベルでやるのか、普段から同じ考えて判断していれば、矛盾することが減り「あいつ偽善でやってるな」と言われることも少なくなるでしょう。
発言と行動をそろえる
「大変だよね」「かわいそうだよね」などと言うのであれば、本当にその相手や物事に対して助けとなるような事をすれば良いのです。
逆に、行動に移せないと思えばそう安々と人を心配するような発言できなくなりますよね。
話の流れで、「共感してあげる」意味で大変だよね、などと言うことは良いのですが、自らの意見として積極的に言うのであれば、その責任を取れる行動も伴うこと前提にしましょう。
大変ですが。
特に最近は「発言だけ出来る場」、SNSで偽善者と批判されることもあるので、そういった発言をするのであれば、自分のやっている行動も合わせて投稿すれば偽善と言われることも防げるのではないでしょうか。
周りは気にしない
誰に何を言われても、気にしなければよいのです。(これが難しいのですが)
偽善と思われようが自分が本当に想ったことならば自信を持って発言すればいいのです。
自分が良いと思っていることが他の人からも同じように思われるということはありません。
価値観が違えば、良し悪しの基準も違うのですから、「偽善者」と言ってくる相手とは価値観が違うと思えばいいだけです。
最後に
私も過去に偽善者と言われて悩んだことがありますが、自分の意思がどこにあるのか、それはどういった気持ちでやっていることなのかを整理したら、誰に何を言われても、価値観の違いだなと理解することが出来るようになりましたし、周りの意見は気にならなくなりました。
大切なのはあなたの本心がどこにあるかということを理解することです。
誰かに指摘されて、やましい気持ちが芽生えるとしたら、それは自分の本心ではない、「偽善」だったという可能性が高いので、次からそういったことをしなければいいだけです。
発言だけでなく行動が伴っていれば「偽善者」と言われようが、何もしてない人よりは良い人だと私は思います。